金融大戦と森

「たった今、銀河系内にある恒星、太陽の制圧に成功したぞ!これで太陽系の所有権は我々のものだ。グゥワッ!ハッハァ~!!」
ひと昔前のSFアニメに登場するワルモンみたいなセリフ^^
これを上方大喜利風に描写してみると♪
 
ベ~ン、ベ~ン♪
SFのようでもSFでない、ベンベン♪
喜劇のようでも喜劇でない、ベンベン♪
それは何かとたずねたら♪
そりゃ人間、人間、人間~♪
 
 
いくつもの世界大戦を現実化してきた我々人間は、
SF的な銀河スケールではないものの、地球スケールでこれをやってきた。
「所有争い」というやつを。
この所有争いは、現代ではどうやら『金融大戦』という形でまだまだ続いているらしい。。。
 
現代の法概念(特に民法)では、「個人主義と所有」がベースに成り立っている。
「この地はオイラのもの、あっちはあんたのものだけどね~。
だからあんたが勝手にこっちに入って来てなんか持って行ったら、そりゃあんた法律違反だかんね~。だって、ここの所有者はオイラなんだからさ~。」
てな具合です。
 
でも、そもそも大地にも星にも、特定の所有者なんてあっただろうか?
人間が勝手に決めた線引きに過ぎないのではないのか?
現に、渡り鳥たちにこの所有概念はないはず。
 
もちろん、争いや誤解を起こさないためには、最低限の決まり事(ルール)は必要でしょう。
互いが互いを尊重するためのマナーとして。
だけど、その決まり事(ルール)が、本来、人が持っている
『考える力』『創造する力』『生きる力』を萎えさせているならば、、、。
 
 
昨今、次々といろんな公共物(社会的共通資本)が民間所有や民間運営に移り変わっている日本ですが、
これも法で定められた所有の概念をベースにして起きていること。
(そのうち、月や太陽の所有をめぐるゲームが始まるかもしれませんね。^^)
 
もしも、大地や月や太陽に意思があるならば、
彼らはこう思うかもしれない。
 
「私があなた方の所有物って、何を根拠にそう言えるの?」
 
 
さてさて、
環境税のひとつの考え方に『自然の力でつくられたものには、1年ごとに1円の課税』というものがあります。
これはとても興味深い考え方。
つまり「100年かけて作られた木材には、100円の環境税をかけましょう」というもの。
あたり前の話ですが、100年生の樹木が育つまでには、たくさんの日光と土の栄養と水の恵みを必要とするわけです。
(樹木所有者Aさんが、これらの恵みを全部自分で工面できるわけではないのですから。)
 
500年かけて作られた土壌には、500円の環境税。
1000年かけて作られた石油には、1000円の環境税。
 
この環境税案の現実的な善し悪しは別として、
もし仮にこの発想が早くから導入されていれば、森林減少の度合は今と全く違っていたでしょう。
守る価値のあるものを、ちゃんと守れる文明が成熟していたかもしれません。
 
この発想から大きく乖離しているのが、現代の金融システム。
このシステムの中では、自然というものは『経済価値があるかどうかの対象物』という扱いになる。
今日も地上の隅々に至るあちこちの森に、値段の付け替えがされているというわけです。
(もちろんお金そのものの存在を否定するつもりはありません。お金自体はプラスでもマイナスでもないはずですから。)
 
一瞬にして生み出されてしまう実態のない大量の紙きれ、紙幣。
それにあたかも「身の丈」以上の価値があるかのような「演出」を繰り返す。
今やその演出にも無理が重なり、首が回らなくなった金融システム。
 
今の金融システムは、
金(ゴールド)の所有を裏づけとする金本位制でも、
石油の所有を裏づけとする石油本位制でもない。
何の裏づけも、実体もない「幽霊本位制」。
もはや期待できるのは、背筋が凍るほどの納涼効果くらいなのか。
う~ら~め~し~や~ってね。^^
 
実体がないのに、あたかも実体があるかのように回ってしまう『虚数』で張り巡らされた世界。
「為替操作」「株価操作」「情報操作」が一切ない公正な世界を信奉している人なんて、もはや誰もいない。
 
世界を劇場に、日々巻き起こされている大型情報操作、
そして大型インサイダー取引による金融詐欺 etc. 。。。
遅かれ早かれ、新しい時代を切り開く固定観念に囚われないジャーナリストたちが、まるで連続打ち上げ花火のように、次々と真実を開花させてくれることでしょう☆
 
真実というのは、どっから見ても真実として、
ただありのままに存在しているだけなのですから。
真実には実体があり、それ自体に存在価値があるのです。
 
 
P.S.
せめてこれからの世界は、『森林本位制』くらいの発想にまでには辿り着いておきたいものです。
これまでの「所有」という概念とも共存しつつ、
それと同時に、
森林の存在価値が全人類の共通理念としてしっかりと普遍化された経済観を持っている世界。
 
その世界とは、
果たしてもうひとつの現実(パラレルワールド)なのか。
はたまた近未来に辿り着ける可能性のひとつなのか。
 
私という個人が所有する「表現の自由」という権利を存分に活かして、
この『森林本位制』というイメージ遊びを
次回のブログで描いてみたいと思いまする~!!☆^^
 
See you next~☆
(^0^)/~~~
 
 
【参考文献】
・『エンデの遺言「根源からお金を問うこと」』
 河邑 厚徳 グループ現代(2000)NHK出版
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000804962000.html
 
・『金融世界大戦 第三次大戦はすでに始まっている』
 田中 宇(2015)朝日新聞出版
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=16818
 
・『金融再起動 旧体制の崩壊から世界大革命へ』
 ベンジャミン・フルフォード(2019)秀和システム
https://www.shuwasystem.co.jp/book/9784798056708.html
 
・『21世紀の資本』
 トマ・ピケディ(2014)みすず書房
https://www.msz.co.jp/book/detail/07876.html
 
・『宇沢弘文と語る:経済学から地球環境、日米安保・沖縄まで』
 宇沢 弘文 講演(2010)映像ドキュメント
https://www.youtube.com/watch?v=XqOKulQ8SCo
 
【投稿者】
 松田卓也(アースフォレストムーヴメント)
 
【投稿日】
 2019年8月31日