三井寺の森の再生をてがけて

より多くの人々とともに育てたい
三井寺の森づくりのために
 
  NPO法人 森林再生支援センター 専門委員 高田研一
 
 
1. 日本の森、三井寺の森の現況
この10年間のわが国の森林の変化は劇的なものがあります。サルやシカ、イノシシなどによる獣害、カシノナガキクイムシなどによる虫害などが発生しており、とくにシカよる被害は、山野草の喪失にとどまらず、森林の後継樹が発生できなくなり、森の世代交代にとって大きな脅威となっています。200年後にはわが国の国立公園の3分の2が失われるのではないかとの予測もあります。昨今、野山を歩くと、鳥のさえずりがめっきりと減り、蝶は飛ばず、蜂の数が減ったために虫媒花を持つ樹木の種子ができにくくなっている現実があります。
 
三井寺の森は明治期に至るまでは、現在よりもさらに広い寺領を誇ってきましたが、上知令によって明治政府に取り上げられる歴史を経て、現在の規模となったことはご承知の方々も多いかと思います。しかし、その後の三井寺関係者の森へのご努力は多大なものがあり、周辺部が旧来のコナラなどの落葉広葉樹の薪炭林、アカマツ林のままに放置されてきたのに対して、山域の実に8割の面積にも及ぶ森林を丹念にヒノキの苗木を植え続けてこられました。ちょうど三井寺の山域の土質には粘土分が多く、価値の高いヒノキを植えるのに適していると思われたことがあったかと想像されます。
 
しかし、この広大なヒノキ人工林は残念ながらわが国の他の地域と同じようにドイツ式の造林手法を用いて造られたものですから、信州や紀伊半島の奥山にみるヒノキ天然林とは多少様相の異なるものとなっています。ヒノキよりは背丈の低いさまざまな種類の落葉樹、常緑樹がありません。その代わり、激しい競争の中で敗者も勝者もぎりぎりの生活を余儀なくされる込み合った空間がそこにはあります。このため、適度な間伐を何度か繰り返さなければなりませんが、これは当然税金を当てにして行われることになります。それで最後(社寺建築に用いるには300年は必要です)には価値のあるヒノキ材が得られるのでしょうか。その実績はどこにもありません。ただし、金剛峯寺では350年生に及ぶヒノキ人工林を有しており、そこは広葉樹の多く混じる天然林に近い森の姿となっていますし、ヒノキの材質もきわめて価値の高いものです。
このようなヒノキの育つ場所はどこでもよいといったものではありません。
粘土質の土壌であるだけではなく、それが広い尾根筋の風化した岩盤上に動くことなくしっかりと乗っている場所が最適です。信州でも紀伊半島の天然林でも、金剛峯寺の造林地でもそうです。
 
このような良い場所は三井寺の山域でも認められますが、その範囲を調べてみますとほぼ山域の10%程度であることが分かりました。本当に価値の高いヒノキを生み出した立地はそれほど広い範囲にはないのではないかと思われます。
だからこそ、多くの樹木が多くの種類の森の形を形成するわが国の多様な自然の形があるのだろうと考えられます。
つまり、山域の80%に及ぶヒノキ林のうち、多ければ70%にも及ぶヒノキ林がもしかすれば長い歳月に耐えないものである可能性があります。
 
福家俊彦執事長が私どもがご相談にあずかるときの最初に仰ったことに、「動物も植物もあらゆるものが森の中で生きていけるような森づくり」というのがありました。獣害で堂宇に被害さえ出る中で、さすがに山川草木悉皆有仏性の心が息づいておられることに感激致しました。また、三井寺の森だけではなく、延暦寺の森にまで、周囲の森にまで至るようにというお言葉もありました。ありがたいことです。
この森づくりは長い戦いになります。自然体でやらなければ続きにくいことです。工夫も知恵も要ります。御寺の意思が遍く山に広がり、人々に届くようにと、私どもは粛々とそのお手伝いに微力を講じるのみです。
 
2. 三井寺の森の再生
三井寺の森は、ヒノキ林、シイ林が主体となり、これにコナラ林、アカマツ衰退林が少しあります。ヒノキ林については大津南部森林組合の努力もあって、できる限りの手入れもなされていますが、それ以外は放置状態にあります。ここで目指すべき「森=仏性豊かな森づくり」を実現していくための基本的な方針を整理しておきます。
 
(1) 生きとし生けるものが生きる場となる森づくり
(2) 将来豊かな地域生態系の一部となる木を育てる
(3) こもれ日が射し、風が通る森づくり
(4) さまざまな年齢の樹木が共存する森づくり
(5) 防災的に安心な森づくり
(6) 森厳性のある美しい景観づくり
(7) 300年の歳月で三井寺を支えるヒノキ林の育成
(8) 多くの縁のある方々と一緒につくる森づくり
(9) 人の都合だけ、その時の都合だけに拠らず、自然の都合も聴く森づくり
(10) 無理をせず、自然体で、それでいて技術にすぐれた森づくり
 
3. 森づくり、森の再生に向けた費用に対する考え方
無理のない森づくりを志向しても、実際には相当程度の費用を必要とすることは明らかです。
費用については、三井寺はじめ各社寺でお考えいただくべき内容ではありますが、外部の参考意見としての考え方を整理しておきます。
(1) 費用の原資は、①各種補助金の活用、②御寺、檀家等関係者による負担、③新たな個人による負担、④新たな企業等団体による負担がある。
(2) この内、③新たな個人による負担の可能性が最も高い。
(3) 新たな個人による負担の場合、御寺側が提供できる便益に対する対価としての費用負担となる。
(4) 御寺としての大原則に則り、将来の宗門発展にも結び付く事業であり、かつ出資者個人の便益につながる事業としての森づくりを構想できるかどうか。
 
4. 高齢者からのニーズ
前項を踏まえて、個人出資の可能性に係る検討を行ってみます。
 
かつての家族の形が変化し、今どこもが小家族で暮らす時代になってきています。昔は子や孫のために木を植えましたが、長子相続ではないためにせっかく植えた木の相続がだれになるかさえ、当事者でも分かりにくくなっています。老人の介護は家族ではなく、プロの手に委ねられるようになってきました。
多くの定年退職された方々と話をすると、山で少しの骨灰をうずめ、そこに1本の木を植えて欲しい。自分がそこへ帰っていく気持ちになるような、そんな葬られ方も良いという意見を多く聞くようになってきました。
 
還るべき地としての山、森…。
 
ヒアリングを実施しますと、実際には様々な意見がありました。
「足腰がしっかりしている内に、近くのきれいな山に登り、自分の気に入った木を1本植えたい。自分が死んだら、息子に一度だけその木を見に来て欲しい…。そのための小さな印があるだけでいい。」
「焼き場でお袋のお骨拾いをしたら、まだいっぱい骨が残っていて、その残りをほんのちょっと手の中に握った。握った手を開けたくなくて、そのまま帰り途でティッシュに包んで大事に持っている。これを土に還せないかしら…。」
「私が死んだら、景色の良い山に灰を巻いて欲しい。そこで木の養分となれば幸せ…。」
 
食べることと同様に、死に葬られることも大事なのに、死にゆく者の意思が伝わりにくい世の中という意見もありました。
「十分すぎるほどの年金も資産もあるのに、子どもたちに遺産として残すのがよいか、荒れた山の森づくりに役立てられることが良いか、どちらが良いか分からない。森づくりに役立てられる道筋が見えないから。」という声もあります。
 
(納得できるという意味で)死にゆく者のためになり、山や森のためになり、寺のためになり、遺族にも喜んでもらえる形があるのではないかと考えます。
 
5. 山の中の小さな造園空間=小さな植樹事業の提案
社会の意見、とくに高齢者の意見を聞いてみますと、残された時間、充実したひとときを山で過ごしたい。そこで、何か小さな痕跡として1本の木を植えることができたら良い、という考え方がありました。
また、父や母、夫や妻が亡くなり、故人の好きであった小さな形見を土に埋め、そこに木を植えること、場合によっては小さな袋に入れた骨灰を埋めて、木の育ちを待つ。ときおり、遺族が山に登り、植えた1本の苗木がここまで大きくなったと故人を偲びながら時間の過ぎゆくことを感じるような森づくり事業があってもよいかと思われます。
このとき、骨灰をうずめると墓地法の制約を受けることとなりますが、形見を埋めるだけであれば、この限りとはならないことがあります。場所によって、色々と考えてみることができるかもしれません。
 
苗木を植えるときには、植えるのに適した季節を選び、山でひとときを過ごします。そのために、木を植え、腰を下ろす場づくりとして、10~15㎡を用意します。この範囲では、じかに座ることができ、木陰でもよく耐えるシバ(センチピードグラス)の種子を撒いて小さな芝生とします。
植える苗木の種類は、この山の豊かな生態系を構成する樹種の中から何種類かを示して、選んでいただきます。もちろん、植えるときには三井寺の専門家が立ち会うこととなります。
この植樹は大規模に行うことはありません。必要な範囲をできる限り少しずつ広げていくことが良いのではないかと考えています。
周りの森づくりを阻害する、あまりにも増えて多すぎるヒサカキやサカキを除伐し、風通しと光の射し込む空間をつくりますが、あまりにも多くの木を一斉に伐り過ぎると、森に光が入りすぎて苗木がうまく育たないこともあります。
 
20年、30年と大事に木を育てていただく場ですから、心安らぐ空間となるような景観的な配慮は欠かせません。林業技術だけでは難しいところは京都の作庭の技術も取り入れることを考えています。
それでも一つの家族のために提供するこの小さな場と小さな森づくり事業に要する実費は墓石を設置するほどは掛かりません。
 
6. 森づくりの手法:1本ずつの木々を重ね合わせて森をつくる
上に簡単にまとめた個人向けの小さな植樹事業が目指すべき「動物も植物もあらゆるものが森の中で生きていけるような森づくり」につながっていくかどうかが問題です。
 
小さな森づくりのために用意された場は20~30年が貸与の限度と考えます。木が大きく育つとともに人々の記憶も遠ざかります。しかし、木は200~500年の長きにわたって生き続けていきます。人の手から離れて、健全な森の一部として、その木が役立つときはさらに先になるわけです。
そこで、小さな植樹事業が大きな健全な森へと育っていくための、森にとって必要な樹木の配置計画も考えていくことが求められます。ただし、この計画は間違いのないようにゆっくりと立てていっても良いかもしれません。
 
7. おわりに
20世紀の終わりころから、森林の状況は、自然林も人工林も予断を許さない状況となってきました。
現代の文明が遠い将来を念頭に置いた経済の仕組みとはなっていないことが、森林の経済性、公益的機能の後退、シカによる食害などの危機を招いた原因なのかもしれませんが、いつまでも嘆いてはいられません。
新たに木を植えなければ、森林のかたちを残せないという危機感の下で、超長期的な視点で行う森づくりには、社寺のお力添えをいただきたい、また資金的余裕のある高齢者からも、自らの魂の原点としての山に少しの樹木を育てる費用をちょうだいしたいとも考えて、本稿を書きました。三井寺から始めた、この運動が少しでも世に広まることを祈念しながら…。
 
【投稿者】
 高田研一
 (NPO法人 森林再生支援センター 常務理事・高田森林緑地研究所 所長)
 
【投稿日】
 2018年7月31日