公と森(前編)

漢語林で「公」という漢字について、
調べてみたら、こうあった☆^^
 
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
 
①表むきなこと。あからさまなこと。公然。
②かたよらず正しいこと。公平。公正。
③個人のことでなく、国家社会などに関すること。
 
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
 
この「公」という文字。
元々は「八」の下の字は、「ム」ではなく、「口」
であったらしい。
 
一説には、「口」の部分は「広場(空間)」を意味し、
「八」はそれを開いている様子を表しているのだとか。
 
さて、日本にある「森という公」は、
果たして今、「みんなのもの」として開かれているだろうか?
 
 
これは、一生を費やして追求するだけの価値のある
wonderfulなテーマだと、私は思う。
 
 
たとえば森を
私的に自分だけの「木の畑」として、狭く捉えた場合と、
公的にみんなの「共有物」として、広く捉えた場合とで、
目指すべきビジョンは、まるで違ってくる。
 
さらには、人社会(国家社会)だけではなく、
森の生態系を構成するあらゆる生きものたちを
すべてひっくるめての「公」という発想となれば、
そのビジョンは、
より一層広域なものとして、超長期的なものとして、
捉える必要が出てくる。
 
きっと、ネイティブアメリカンの人たちが言う
『七世代先のことを考える』というのは、
そういう視点から、自然と生まれ出た言葉なんだろう。
 
 
ここで公的な立場にいる人たちに、問う。
 
「100年後の森が、どうなっているのかを知っていますか?」
「100年後の森が、どうあってほしいのかを描けていますか?」
 
ちっちっちっ、
勘違いしちゃぁいけねぇぜい。。。^^
 
政治家や公務員だけが、公的な立場にいる人たちじゃない。
学者やメディアだけが、公的な立場にいる人たちじゃない。
 
私たちはみんなみんな、公的な立場にいる人たち。
 
 
職業として、公の仕事を選んでいるかどうかを言っているのではない。
そこじゃない。
 
個々人の義務や責任の話をしたいわけでもない。
そこじゃない。
 
もっと、ひとりひとりの心意気そのもののお話。
何十億もの個性が混ざり合った、
躍動的でパワフルで、潤いのある新しい公のお話。
 
「公」の未来とは、結局は、
ひとりひとりの心意気次第なのかもしれない。
 
おーし!
地球という空間を、
『人類総踊り』ばりの心意気で、
開きに行くぞーっ!!^^
 
Shall we open the space?
 



!!
 
^^)/
 
 
【投稿者】
 松田 卓也(アースフォレストムーヴメント)
 
【投稿日】
 2020年10月31日