ジャーナリズムと森
グレゴリオ暦で定められた1年が、今年も終わろうとしています。
グレゴリオ暦とは「ローマ教皇グレゴリウス13世の命令により、1582年から使われている暦法」のことらしい。
私は、グレゴリウスさんにお会いしたことも、取材したこともない。
私は、グレゴリウスさんがどのような方だったのかも、知らない。
私は、グレゴリウスさんがどういう意図でこの暦を導入したのかも、知らない。
そもそも、グレゴリウスさんが本当に導入した暦なのかかどうかも、私にはわからない。
知らないことを知ろうとすることや、
知らないことを知らせようとすることは、
『多様で厚みのある文明』を形成する上で、
とても大切な姿勢だと思います。
知らないことを知ろうとすることや、
知らないことを知らせようとすることは、
ジャーナリズムが持っている
とても大きな役割です。
さてさて、もう少しだけ暦のお話をさせて下さい。m(_ _)m
暦の和洋を問わず、私はただ世の中の「スケジュール」として、
既存の暦たちと折り合いをつけながら、毎日を生きています。
私個人としては、
「令和の元年」にも、「グレゴリオ暦の新年」にも、
特別に大きな意味を持って生きてはいません。
(いっそのこと『冬至を起点』に新年を定めた方が、しっくり来るんじゃないかなぁ~なんて思っています。^^)
法的にも、倫理的にも、
『言論の自由』が一応保障されている今日2019年12月31日に、
今の私が思っていることを、ここにただ述べさせていただきました。
「思ったことを自由に言うことのできる言論空間」とは、
誰もが活かすことができる言わば『OKな牧場』^^。
(いや、そもそも言論空間に「檻」などあってはいけないでしょうから、
牧場以上の『社会的共通資本』と言っていいでしょうね。)
しかし、この自由な言論空間が、今なお十分には許されていない場があります。
この星地球です。
真実を真実として、知らされないし、知ることができない。
スポンサー側の「希望」。
統治者側の「意向」。
情報の受け手側の「志向」。
これらの力が相乗的に働いた結果、
日本は、一億総情報弱者の「牧場」になってしまうのでしょうか。
世界は、77億総情報弱者の「牧場」になってしまうのでしょうか。
(あなたにとって、これは「OK」な状態ですか?)
アマゾンの森で、今何が起きているのか。。。
ボルネオの森で、今何が起きているのか。。。
日本列島の森で、今何が起きているのか。。。
知ることは、生きること。^^
【参考文献】
・『メディアの罠』
青木 理 神保 哲生 高田 昌幸(2012)産学社
http://sangakusha.jp/ISBN978-4-7825-7000-5.html
・『いま、メディアに求められる倫理とは』
堀 潤 宇野 常寛(2017)PLANETS〈HANGOUT PLUS〉
https://www.youtube.com/watch?v=p9wQtm3sxhg
・『i -新聞記者ドキュメント-』
森 達也 監督(2019)STAR SANDS
http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=92989
・『浜矩子 × 鳩山友紀夫』
浜 矩子 鳩山 友紀夫(2019)東アジア共同体研究所
https://www.youtube.com/watch?v=ShvTLZDwKrs
・『報道中毒 〜Journalism Junkie〜』
烏賀陽 弘道 中村 哲雄(2019)烏賀陽RADIO
https://www.youtube.com/watch?v=qK6fPWbY8jc
・『SALU「Goodtime」』
SITE(Ghetto Hollywood)監督(2014)TOY’S FACTORY
https://www.youtube.com/watch?v=wI28qqXJ888
【投稿者】
松田 卓也(アースフォレストムーヴメント)
【投稿日】
2019年12月31日