社会的共通資本と森

 


 
 
「社会的共通資本」なんてあまり聞き慣れない言葉かもしれません。

でも、この考え方はきっと、未来に進めば進むほど、より一層大切さを増してゆく考え方になる気がします。

 

社会的共通資本とは「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」と定義されています。

めちゃめちゃ簡単に言ってしまえば、「みんなで大切にするべき、みんなのもの」とでもなるのでしょうか。

 

ゆたかな経済・すぐれた文化・人間的な魅力のある社会を維持する『自然環境』(山、川、森林など)、『社会的なインフラ』(道路や鉄道など)、『制度資本』(教育、医療、ジャーナリズムなど)の3つから成り立っているのが、社会的共通資本。

つまり、
「『ゆたかに生きるために必要不可欠な自然の恵み』や『人々がこれまでに積み上げてきた文化の叡智』はかけがえのないもんなんやから、損得勘定だけにとらわれず、みんなで大切にしていこうじゃあ~りませんか?」
といった発想から生まれてきた考え方と言えそうです。

 

これがどうして、未来に進めば進むほど、より一層大切になるのかと言うと、もはやこの地球上には「社会的共通資本」と言えるものはほとんど存在していないように私には見えるからです。
(むしろその揺り戻しにより、この価値が膨らんでいくことを願うばかりです。)

 

今日の現状は、『自然環境』にしても、『社会的インフラ』にしても、『制度資本』にしても、

「みんなで大切にするべき、みんなのもの」
というよりは、どちらかと言えば、
「今だけ、カネだけ、自分だけ」
の色が強いのかもしれません。
今や地球の隅々まで染め上げるほどの勢いです。
みなさんもそれぞれの日常の端々から、それらの空気感をきっと感じ取っていらっしゃるはずです。

 

「今だけ、カネだけ、自分だけ」の空気感に、
「今だけ、カネだけ、自分だけ」の日常生活に、
「今だけ、カネだけ、自分だけ」の社会構造に、
強かに適応しようとしてしまう私たち人類。

 

その果てにある未来で、「あらま!」という難局に人類はぶつかってはじめて、その解決を慌てて探し始めるのか。

 

そうなってからやっとこさ、まさに社会的共通資本のひとつである『制度資本』(つまり、教育やジャーナリズム)の中から『社会的共通資本』という考え方を見つけ出し、再び拾い上げるのかもしれません。

さらなる未来へ進むために必要な「転ばぬ先の杖」として。

 

未来に、社会的共通資本と言えるまっとうな教育やジャーナリズムが存在している限り、そこから何度でも「社会的共通資本」を見つけ出すことはできるはず。
 
「社会的共通資本」を、目に見える実例としても。
「社会的共通資本」を、内在する考え方としても。

 

私たちがこのムーヴメントからやろうとしていることとは、
まさにそういうことなのです。
 
転ばぬ先の杖を
たとえ少しずつでも
今からつくりはじめる
転んでからではなく
まだ転んでいない
今から

 

20年後の未来に問う...
 
 
【参考文献】
・『社会的共通資本としての森』
 宇沢弘文・関良基 編(2015)東京大学出版会
http://www.utp.or.jp/book/b306757.html

・『社会的共通資本』
 宇沢弘文(2000)岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b268515.html

・『経済学は人びとを幸福にできるか』
 宇沢弘文(2013)東洋経済新報社
https://store.toyokeizai.net/books/9784492314425/

・『自由貿易を考えるシリーズ2 TPPは「社会的共通資本」を破壊する』
 ニュース専門ネット局 ビデオニュース・ドットコム(2011)
http://www.videonews.com/marugeki-talk/515/
 
【投稿者】
 松田卓也(アースフォレストムーヴメント)
 
【投稿日】
 2018年2月28日